事実は小説よりも奇なりーー。
よく耳にする言葉であるが、ノンフィクション作品を読んでいると、つくづくこの言葉に共感せざるを得ない。
猖獗を極める死病、残酷極まりない殺人事件、目も当てられない獣害……。
この世界では、我々がしている想像以上に、無慈悲な出来事が起きているのだ。
ノンフィクション作家は、覚悟と信念を武器に、その悲劇と相対する。
夜通し読みたくなるほど迫力があるノンフィクション作品を紹介しよう。
※各出版社の書誌ページを参考にしています。
※☆★はあくまで筆者の感想であり、「★の多さ=おもしろさ」ではありません。
窪田新之助『対馬の海に沈む』(集英社、2025)
2024年 第22回 開高健ノンフィクション賞受賞作
JAで「神様」と呼ばれた男の溺死。
執拗な取材の果て、辿り着いたのは、
国境の島に蠢く人間の、深い闇だった。【あらすじ】
人口わずか3万人の長崎県の離島で、日本一の実績を誇り「JAの神様」と呼ばれた男が、自らが運転する車で海に転落し溺死した。44歳という若さだった。彼には巨額の横領の疑いがあったが、果たしてこれは彼一人の悪事だったのか………? 職員の不可解な死をきっかけに、営業ノルマというJAの構造上の問題と、「金」をめぐる人間模様をえぐりだした、衝撃のノンフィクション。(集英社書誌ページより)
-
読みやすさ ★★☆
-
読み応え ★★★
-
トラウマ度 ☆☆☆
【書評】
この農協職員、ヤバすぎる……
一読した感想である。
東京都心で暮らす人々は、「JA」(農協)がどんな組織であり、そこで日常的にどんな業務が行われているのかを一切知らない。
農協は「専門農協」と「総合農協」の2種に大別されるというが、前者の組合員は12万5000人、後者の組合員は1036万人に上るというのだから、その巨大さには目を見張るものがある。正直、顎が外れるほど驚いた。
農業に携わる人にとっては「世界のすべて」であるが、縁がない人間にとっては正体不明のマンモス組織。それが農協である。
本書の面白さのひとつは、そんな複雑で巨大な「農協」という組織について、すっきり理解できることであろう。
ところが、それはバイプロダクトにすぎない。
本作の主人公となるのは、長崎県の離島・対馬でライフアドバイザーという職務に就くNという男。
この男が、映像化にも耐えうるくらい、べらぼうにドラマチックな人物なのだ。
Nは人口が限られたこの島で日本一の営業実績を誇り、全国に約2万人いるライフアドバイザーの頂点にまで上り詰めた。
歩合給と合わせれば収入は4000万円近くに達しており、本人は「年収はプロ野球選手並み」と豪語していたという。「農協」という、どこか牧歌的な空気の漂う組織には、著しく不似合いな人間だ。
イタリアのブランド「DISEL」に身を包み、札束を持って「ロレックス」に入店するNは、まごうことなきJAの星であったというーー。
〈対馬全島に“世界一の安心”を〉
これは、本人による標語である。
しかし、富、名声、地位、すべてを手にしたNには、もうひとつの呼び名があった。
「モンスター」……。
次第に明らかになるのは、虚飾だらけの実績、「洗脳会議」の開催、歯向かう同僚に対するつるし上げ……。同僚たちはNに気に入られて甘い汁をすするか、歯向かって左遷されるかの二択を余儀なくされた。
Nはどうしてここまで大規模な違法行為に手を染めたのか。犯罪行為はひとりで行われたのか。
そして、どうして海に沈んで死に至ったのか。
JAグループ「日本農業新聞」の元社員による地を這うような取材によって、「離島」に巣食う病魔が克明に浮かび上がる。
いままで描かれなかった社会の「闇」を追った傑作ノンフィクションと言えよう。
農業に携わる人も、そうでない人もむさぼり読むこと請け合い一冊だ。

1994年生まれ(男性)。ライター。一橋大学大学院社会学研究科歴史社会研究分野修士課程修了。得意分野は、歴史・文学・サブカルチャーなど。「文春オンライン」、「プレジデントオンライン」他に寄稿。共著に『紫式部と源氏物語の謎』(プレジデント社)がある。2025年、精一杯の献金(8,468円)により、シーランド公国男爵に叙される。憧れの人は澁澤龍彦。
コメント