アラサー世代に適した旅行先とは、どこだろうか。
テーマパークは少し若々しすぎるかもしれない。たまには温泉も良いが、かすかに残る少年心もくすぐってほしい。欲を言えば、都会で疲れ果てた肉体を癒してくれる緑もほしい。
そんな貴方には、廃村探索をおススメしよう。
【前回記事】幻想的すぎる絶景! 緑に飲み込まれた幻の「倉沢集落」を探せ
(前回までのあらすじ)
30歳を目前に、廃村の魅力に取り憑かれてしまった我々。
険しい山道を越え、ついに「倉沢集落」を発見。我々がそこで目にしたものとは…
微かに残る生活の痕跡
廃村には、どんな危険が潜んでいるか分からない。
はやる気持ちを抑え、我々は慎重な足取りで探索を始めた。
静寂と荒廃が支配するこの村で、いったい何が待ち受けているのだろうか。
倉沢集落は、山の斜面に沿って、棚田のように形成されている。
入り口は斜面の中腹に位置しており、そこから上部・下部それぞれに集落跡が続いている。
階段が残っているのは、上部に続く左手のみだ。
我々はまず、この階段を登ってみることにした。
階段の両側には、打ち捨てられた家具・家電の類が姿形を保っており、左右に民家が並んでいたことが伺える。
どうやら、かなりの密度で民家が建てられていたようだ。
さらに上に登ると、状態の良い炊事場が現れる。見渡すと、個人宅とは思えない規模の区画であることが分かる。恐らく、集落の集会所があったに違いない。
苔に埋もれ、自然と一体化しつつある生活の痕跡を眺めながら、歩みを進める。10分ほど登ると、階段は終わり、集落の端に行き着いた。
眼下には、まるで遺跡のような建物の基礎が、いたるところに遺されている。
辺りを見渡していて、我々はあることに気づいた。
――上に、小屋がある。
謎の小屋を発見!
もはや道もない斜面の先に、ポツンと一軒、傷だらけの状態で小屋が残されているではないか。くすんだコンクリートで覆われた小屋は、どこか人を寄せ付けないような怪しい雰囲気を放っていた。
好奇心に駆られた我々は、斜面をよじ登り、小屋を目指した。
いまにも雪崩を打って崩れそうな砂礫に悪戦苦闘すること10分。
小屋が全貌を現した。
一見何の変哲もない小屋だ。
「わざわざ登ってきた甲斐もなかったか」
がっかりしたが、ぐるっと一周して、我々はあることに気づいた。
ーーこの小屋、入口がない。
どういうことだろうか。屋根が半壊していたので、小屋の中を覗き込むことができた。4畳ほどの広さで、壁の高さは2m以上もある。
何に使われていたのか、全く想像もつかない。
「貯水槽では?」とも勘繰ったが、この場所では水を汲み上げることも難しいだろう。
もしかすると、誰かを監禁するための折檻部屋だったのではないか……。
ぞわりと背中に悪寒が走る。世俗から隔離された山深い集落だ。村の秩序を守るために、独自のルールがあってもおかしくはない。
流石に考えすぎだろうか。
しかし、何だか見てはいけないものを見てしまった気がする。
我々は足早に小屋を後にした。
階段を下りて、再び集落の入り口に戻った。
右手側、斜面の下部にも、廃墟群が続いている。
こちらには階段がないので、恐る恐る崩れ落ちそうな斜面を降りて、探索を進めた。
下った先で出会ったのは、とある一族の墓である。
「倉沢集落」最後の住人
墓誌には「先祖は1340年頃からこの地に住み……」と記されていた。「倉沢」に関する記録としては、倉沢権現宮の鰐口に刻まれた「武州杣保野上郷蔵沢村神冥宮鰐口 文安二年(1445)十二月十日 旦那法性敬白」という一文(銘記集)が古いものだ。「1340年頃から」という墓誌の記録は出典が分からないが、恐らくこの坂和一族に伝わる伝説なのだろうと想像したい。
因みに、江戸時代になっても、倉沢集落には家が4戸しかなかった(『角川地名大辞典』)。
墓誌の最後に記されているのは「坂和 連 2005.3.13」という人物だ。後日調べたところ、坂和連氏はすべての住人が去った後も、ひとりでこの集落に暮らし続け、95歳で亡くなったらしい。
この一族は、途方もない時間を、この集落で過ごしていたのだ。
最後の住人がこの世を(そしてこの集落を)去って約20年。
少しずつ、しかし確実に時は過ぎ、暮らしの痕跡は自然の中に葬り去られようとしていた。
墓の下を見遣ると、かなり新しい家が遺されていることに気づく。
そのほかの民家がすべて跡形もなく崩れ落ちていることを考えると、驚きの保存状態である。
これが、最後の住人の家なのかもしれない。比較的に手狭なので、別宅だろうか。
廃村に残る1冊の本
家の前に、一冊の本が落ちていた。
海音寺潮五郎の『加藤清正』(文春文庫)。
テレビなどの娯楽が望むべくもないこの集落では、読書が数少ない楽しみだったのだろう。
もしかすると、最後の住人、坂和氏が遺したものかもしれない。
本の状態を見る限り、あり得ない話でもないはずだ。
ひとり奥深い山村で本を読み、自然とともに生きる暮らしは、いったいどんなものだったのだろうか。
「おはよう」も「こんにちは」も口にすることがない生活。
誰とも触れあうことのない毎日。
ひとり残された坂和氏は、何を思い日々を過ごしていたのだろうか。
デジタルネイティブでコミュニケーションの飽食を楽しんでいる我々アラサー世代には、とうてい想像もつかない。
坂和氏の人生、そしてこの土地で暮らしてきた人々の歴史に思いを馳せた我々は、いま一度墓に深く手を合わせ、倉沢集落を後にしたのだった。(四・円)
おまけ
倉沢集落から車で15分くらいの「日原鍾乳洞」もめちゃくちゃ綺麗だから、みんな行ってね。廃村とは違って、「安全」な冒険が楽しめます。本当に圧巻でした!
退屈なオトナのための、知的快楽マガジン「アルフソン」を運営する人々。アラサーの編集者、ライターたちからなる。
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