アラサーにもなると、仕事に慣れる。
新卒から同じ仕事を続けている人であれば、なおさらのことだろう。
社会人としての身のこなしも、ある程度は板についてくる。
リクルートエージェントによると、転職者の年齢は25~29歳が一番厚い層だというが、これも「自分の仕事を俯瞰する余裕」が出てきた結果なのかもしれない。
それでも、私たちは身近な「あの仕事」のリアルを知らない。
知っているようで知らない、色とりどりのお仕事の世界に足を踏み入れてみよう。
手取り17万円の激務
図書館司書の朝は早い。
午前9時ぴったりに図書館を開くため、Aさんは毎朝6時30分にベッドを出る。
のんびりとはしていられない。自動扉の前で待ち構える常連の老人が、1分でも遅れるとクレームを入れてくるからだ。
意地の悪い老人は、腕時計の秒針に目を光らせている。
自動扉をこじ開けて、館内に入ってきてしまうことすらあった。油断はならない。
都内P区の図書館に勤めるSさんは22歳の女性だ。
千葉県の短大で図書館司書の資格を取得したあと、都内の総合代理店に入社した。
あまり知られていないが、我々が普段利用する図書館は、行政から委託を受けた民間企業が運営を行っていることが多い。
たとえば全国を網羅する有名書店チェーンも、一部門として図書館の運営業務を行っている。
複数の企業がひとつの図書館に人を出していることもあるので、同じ館で同じ業務を行っていても給与が違う場合があった。
役職は上から、館長、副館長、リーダー、サブリーダーと序列化されており、その下でパート職員が働いていた。
Sさんの勤める図書館は分館なので、総勢13名ですべての業務を行っている。
入社2年目、サブリーダーであるSさんの手取りは17万円。家賃補助などは一切なかった。
決して高いとは言えない給与だが、大好きな本に関われるのが、なにより嬉しかった。
主な業務は受付対応と配架作業で、だいたい一時間半ごとにこれを繰り返した。
正社員であるSさんは、パート職員が受付にいるあいだ、来館者増加のための企画立案も行った。児童担当という役割があるので、七夕会や読み聞かせ会などの企画・運営が主だった。
人を集めるのは難しかったが、子どもたちに本の面白さを伝える仕事は、とてもやりがいがあった。
読み聞かせをした子どもが図書館に通ってくれるようになると、言葉では言い表せないほど嬉しかったという。

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司書業務は、老人たちとの闘い
一方、苦労をしたのは年配の来館者への対応である。
仕事をリタイアした老人は、毎朝早くから図書館を訪れる。
もちろん固定席などはないのだが、みんながみんな、毎日同じ席に座りたがった。他の来館者が座っていると、因縁をつけて喧嘩を始めてしまうこともあった。
そんな時はSさんの出番だ。言い争う老人たちの仲裁をしなければならない。
「他の来館者の新聞をめくる音がうるさいと、文句を言われることはしょっちゅうでした」
みんな異常なほど、音には敏感だった。
それでも、そういったクレームが大きな問題に発生することは少ないという。
図書館には、もっと気を遣うべき問題があるのだ。
「一番気を遣うのは、個人情報の取り扱いですね」
Sさんは断言した。
貸出履歴のせいで離婚に発展!?
「いつも、そろってご来館されるご夫婦がらっしゃいました。ある日、旦那さんがおひとりでご来館されたんです。珍しいなと思っていると、離婚に関する書籍を借りて帰られて……。職員同士で噂話をしていたところ、まわりまわって奥様の耳に入ってしまったことがありました」
「所詮は借りた本の情報だからといって、馬鹿にはできません」
Sさんは、少し語気を強めた。
図書館では、地域に密着した施設ならではのトラブルが起こり得るのだ。
全身にタトゥーを入れた男性が図書館にやって来たこともあった。
差し出された本を見ると、すべての書籍に暴力団関連のキーワードが入っている。緊張感が走ったが、Sさんは平静を装って受付業務を行った。
貸出履歴は、その人を映す鏡だ。余計な詮索は無用なのである。
性欲が枯れてない人もいるんだから!
「次に気をつけないといけないのが、身だしなみ、言葉遣いですね。気を抜くとクレームにつながりますので」
Sさんは背筋を伸ばした。
図書館には月に2回、完全閉館日があった。
そのうちの1日はミーティング日に設定されている。この日に限って、いつもはシャツにエプロン姿の職員たちも、私服で業務に就くことが許されていた。
Sさんは、肩に薄いレースがあしらわれたワンピースを着て出勤した。しばらくすると、副館長の女性が血相を変えて飛んできた。
「性欲が枯れてない人もいるんだから、気を付けてちょうだい!」
Sさんは思わず苦笑してしまった。

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「司書のあいだは、髪を染めることも、ネイルをすることも、スカートを履くことすらできませんでした。許容のラインは、館長の趣味嗜好によって変わります」
そう言うとSさんは、「学校みたいですよね」と零した。
「見てください。いまはバッチリ」
人間関係に悩んだSさんは、ついに図書館を退職したという。
綺麗に手入れをされたネイルを私に見せると、にこやかにほほ笑んだ。
いまはイベント企画会社で受付をしているそうだ。
「受付という点では共通していますね」
Sさんはゆっくりと紅茶に口をつけた。

1994年生まれ(男性)。ライター。一橋大学大学院社会学研究科歴史社会研究分野修士課程修了。得意分野は、歴史・文学・サブカルチャーなど。「文春オンライン」、「プレジデントオンライン」他に寄稿。共著に『紫式部と源氏物語の謎』(プレジデント社)がある。2025年、精一杯の献金(8,468円)により、シーランド公国男爵に叙される。憧れの人は澁澤龍彦。
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