晩夏を過ぎると、30歳になる。
30歳にもなれば、ちゃんとしないといけない。
ちゃんとする? ちゃんとするって、どうすればいいんだろうか。勉強や仕事こそはちゃんとしてきたものの、私生活においてちゃんとしたことがないから正解が分からない。なにせ、いまだにピアスを付け、マリリンマンソンのバンTを着て高円寺で飲んでいるくらいだ。
この記事は、20代に囚われた男が、己の若さを片付けるための物語である。
【前回記事】
グッドバイ、太宰治
四ツ谷:20代を片づける旅、いよいよ大詰めだ。ついに北山の好きな太宰治と別れをつげるよ。
北山:それは大ごとだ。
四ツ谷:太宰も若い感性の象徴だからな。どうせ中学生の頃『人間失格』を読んで、「これは俺のことだ!」とか思ったんでしょ。
北山:残念。俺は『斜陽』から入った。中学生の時、陸上部を引退したばかりで体力が有り余っていたころ、夜があまりにも眠くないから読んでたんだ。ラストの直治の遺書に書かれた着物の下りでグッときたパターン。
四ツ谷:ところで、どうして若者は太宰に惹かれるのだろうか。あまり歳をとってから読む人をイメージできない。
北山:うーん、はじめて触れる「厭世」なのかな。基本的に社会は「死にたい」とか否定的な主張を人々に言わせたくないし、とくに若者には触れさせたくない。でも、太宰は国民作家だから、許されている。多くの若者が気づくんじゃないかな。「悩んでいるのは自分だけじゃない」って。まあ、俺は何にも悩んでなかったタイプだけど。
太宰治≒浅野いにお?
四ツ谷:太宰って、なんかお洒落だしね。
北山:そう。お洒落なんだ。漱石とか芥川とは一線を画している。
四ツ谷:単純に文豪の中では新しいから現代的な感覚で読めるしね。あと、「厭世」ってカッコいいんだよな。浅野いにおとかと同じだよ。
北山:分かるような、分からないような……。
恐るべき豪邸
四ツ谷:ということで、やってきました「斜陽館」。言わずと知れた太宰治の生家だね。
北山:太宰治、本名・津島修治は津軽の大地主で貴族院議員を務める政治家、津島源右衛門の子どもとして生まれた。うなるほどお金があったんだろうね。大邸宅だ。
四ツ谷:こんな恵まれた家庭で、何を思い悩むことがあるんだ……。
北山:津島家の所有地は、200町歩だったそうだ。1町歩は3000坪だから、60万坪。いまのつがる市の地価が坪6万円らしいから、単純計算しても所有地価は360億円だね。実際にはもっと莫大な財産を所有していたはず。津島一族は政治家一族だから、いまでも国会議員を輩出している。
四ツ谷:とんでもない名家だ。客観的に見て恵まれていても、どこか生きづらさを感じてしまうってのも、若者から支持を集める理由なのかも。
北山:津島家は当時の感覚で言えば「名家」ではないよ。村役人を務めていたわけでもないし、比較的新しい段階でこの地にやってきて、金貸しで成りあがった。当時は軽んじられることもあったと思うな。
そして、太宰とお別れの時……?
四ツ谷:いずれにせよ、コンプレックスは強かったわけか。
北山:確かに家系に対しては、コンプレックスを書き残しているね。
あ、太宰ごっこができる「トンビ」が飾ってある。着ていいみたいだぜ。どうだ、太宰っぽいか?
四ツ谷:うん、昔の大学生っぽいね。
北山:つまり、大学生じゃないか……!
まあ、他人からどう見られるかなんて、実はどうでもいい問題ではあるからね。「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」。自分の責任で好きなことをやっていけばいいのさ。他人にとやかく言う方がガキだぜ。これは坂本龍馬の言葉だ。
四ツ谷:あれ? なんか大人っぽいこと言い始めた。
北山:20代の軸であった寺山修司と太宰治、ふたりの「しゅうじ」の生き方を見つめなおして、見えてきたものがあるかもしれないな。ふたりは「子ども」を貫いて、人々を魅了し続けたわけだ。
津軽との「惜別」
四ツ谷:なんにせよ青森の旅を通して、得るものがあったなら良かった。大人の俺たちは明日から仕事だから、急いで東京に帰ろう。
北山:さらばだ、俺の20代。夏とともに去ってくれ。帰りの電車は寺山修司と一緒だよ。
四ツ谷:なんだそのアクリルスタンドは。別れを告げるどころか、連れてかえってるじゃないか……。
北山:いいだろ? 寺山修司記念館で買ったんだ。
振り向くな、振り向くな。後には夢がないーー。
四ツ谷:それも寺山じゃないか……。記事のオチとして、これじゃ世間は許してくれないぜ。
北山:「世間とは、いったい、何の事でしょう」ね。
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